w-inds.にはいつまでもアイドルでいてほしい
怒涛のブログ更新である。
何を隠そう、今日は暇なので、ゆっくりじっくりブログに吐き出せる。
ライブ行きまくってw-inds.熱があつい今。
新曲も出た今。
なんならサイン会や握手会にまで行った今。
とっても今更だけれど、冷静にw-inds.というアイドルに考えてみる。
そもそも私がこんなことを考えようと思ったのは、広島ライブ(だったかな?)でロビーにあった花輪を見たからだ。
そこには「何の心配もなくw-inds.についていきます」みたいなかんじの、まさしく「ファンの鑑」のようなコメントが添えられてあった。
慶太くんの言葉に対してなんだと思う。(ってかそれ以外何がある)
w-inds.がどんなになっても受け入れられるか?
私がw-inds.を好きになったのは中学生のときだった。
その頃は「HEY!×3」やら紅白やら名前忘れたけど19時くらいからやってた音楽番組やらに新曲を出すたびにでていて、出演番組を追いかけるのに必死だった。
高校生になってからはバイトもはじめた。お小遣でCD買ったりライブに行ったりは嫌で、自分で稼いだお金で誰にも邪魔されずに楽しみたかったから。
大学生になったら、より時給の良いバイトをはじめたのと大学生なんて勉強とバイトくらいしかすることがないので(もちろん遊んだりも忙しかったけど)、よりオタ活に身が入った。
そして社会人になった。そして今に至る。
そう。まさしく、あの名言「私の青春にはいつもw-inds.がいた」である。
(このコメントは秀逸すぎる)
私にとってw-inds.は15年間ずっと「アイドル」だった。
最近は「アイドル」という言葉は人によっていろんな捉え方をされるようになっているけれど、私の感覚ではw-inds.に関しては「憧れ」「崇拝される人たち」「偶像」という意味で。
よくアイドルvsアーティスト論争を見るけれど、そんなことは正直いってどうでもいい。
とにかく「憧れ」「偶像」であればそれでいいと思っている。
「憧れ」とは。「偶像」とは。
ここでw-inds.の歌詞を少し引用したいと思う。
これから探しに行こう
俺が連れて行くよ
まだ見たことのない光を求めて
w-inds.は光を求めすぎていろんなところを自ら彷徨っていまだ落ち着いていない。
そして、ファンの中には彷徨っている途中に置き去りにされたり自ら離脱した人も多いのは事実で。
私にしてみれば、彷徨っているその様がある意味魅力であり、「産みの苦しみ」への挑戦者のようで、未開の地の冒険者のようでかっこいいと思うけど、好みもあるので仕方ない。
ここで冒頭の、何の心配もなくw-inds.についていきます、という言葉に戻るけれど。
憧れ、偶像としてのw-inds.。
私にとってw-inds.はいつまでもずっと、私の知らない世界を見せてくれる人たちでいてほしい。
自分ではできない、自分では見れない光を見せてほしい。
ずっと、日常の嫌なこととか忘れさせてくれる、パワーをくれる存在でいてほしい。
ずっとずっと、楽しませてくれる存在でいてほしい。
それでこそアイドルであると思っている。
だからこそ、憧れであり偶像であると思っている。
w-inds.にしたら勝手にしろやー、俺らはやりたいことやるだけやー、というかんじかもしれないけれど。
楽曲も歌もダンスも一級品のアイドル。かっこいい。
いつまでもそんなw-inds.でいてほしい。